オオカミ少年と二日酔い

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嘘をつき続けた少年は、哀れ誰にも信用されずに羊は狼に食べられてしまいました。

おそらく誰もが一度は聞いたことのある寓話「オオカミ少年」のエンディング。
嘘をついたらどんな運命が待っているのかということを、やや脅迫じみた内容で子供に分からせるために使われることが多いと思う。
もちろん僕も嘘をついた時にこの話を大人から聞かされたし、「嘘をつくと自分に返ってくるんだな。」と思えるぐらいの感性は持っている。
ただそれよりも何より
「なぜそれまで少年の嘘を相手にしていた大人たちは、その日に限って相手にしなかったのか。都合が良すぎる。」
という疑問が常に頭の中を占めていた。

考えられることは3つ

  1. 実は大人たちは狼を追い払おうとしたのだが、返り討ちにあった
  2. 大人たちは真実を知っていたけれど、少年を見殺しにした
  3. 少年はだいぶ前から相手にされていなかった

(1)か(2)の説だと救いがないので、ここは(3)の説で考えていきたい。
となると、少年は誰にも相手にされていないのに同じ嘘をつき続けていたことになる。大人たちはそんな少年を見て何を思うこともなく日常の一部として受け入れてしまっている。
これは思考の放棄といえないだろうか。

もし、少年が新しい手段で嘘を信じ込ませる工夫をしていたら。
大人たちが、相手にされていないのに同じ嘘をつき続ける少年の異常に気づいていたら。
羊たちはオオカミに食べられずに助かったかもしれない。

この話は、疑い、思考することを大切さを教えてくれている。
そう思わずにはいられない。

お酒を飲んだ次の日の頭痛を「いつもの二日酔いの頭痛」だと思って放っておいたら、風邪の頭痛だったためにこじらせて大変な思いをした時に、この話をふと思い出した。