映画ドラえもん『のび太の宝島』 本当の宝物とは何なのか

公開されているドラえもんの映画、『のび太の宝島』を子どもと一緒に見に行ってきた。ドラえもんの映画を映画館で見るのは僕が子どもの頃以来、おそらく25年ぶりぐらいになると思う。 正直なところ、ドラえもんは好きだけれど、わざわざ映画館に映画を見に行くほど大ファンだというわけではない。今回も、当初はあくまでも子どもの付き添いとして映画を見に行った。 しかし、実際にエンディングが終わった後、最初の軽い気持ちはどこに行ったのか、目からは涙を流し、DVDが発売したら購入することを心に決めていた自分がいた。(以下、多少ネタバレあり)

脚本は川村元気。あの社会現象を巻き起こした『君の名は』のプロデューサーでもあり、小説、『世界から猫が消えたなら』の著者でもある。映画のモチーフとなったのはスティーヴンソンの小説、『宝島』。 物語はのび太がジャイアンたちからバカにされてドラえもんに泣きつくところから始まる。最初は夏休みの課外活動のような気持ちで宝島を探しに行ったのび太たちだが、気がついたら地球の存続を決めるような争いに巻き込まれていく。 映画になると普段の頼りないイメージとは一転、勇ましさを見せるのび太に、男気を増すジャイアンとスネ夫。ヒロイン属性増し増しのしずかちゃん、そしてひみつ道具で彼らを支え、時に強いリーダーシップも発揮するドラえもん。まさにドラえもんの映画では定番とも言える流れ。しかも今回の映画はあのミニドラも大活躍。ドララ〜。

今回の映画ではメインテーマとして、『家族のあり方』、そして、『大人と子ども』がハッキリと分かりやすく描かれていて、絶対的な『悪者』といえる人物は存在しない。独善的ではあるが、子どもたちの将来のために行動する親と、今現在の家族としてのつながりを求める子ども。そのスレ違いによって引き起こされる軋轢。映画では家族としての絆、対話がいかに重要になってくるのかが描かれていたように思う。親の行動が子どもの将来を考えた末のものであっても、それが正しい行動ではない場合もあるし、子どもがそれを受け入れられるとは限らない。すでに子を持つ親としては、劇中の大人、親である登場人物の気持ちも痛いほどにわかる。この映画によって、普段自分が良かれと思ってしていることが、子どもにとって本当に良いことなのか、ということに気付かされた。

作中で最も印象に残ったのが劇中後半でのび太が放つ

「大人は本当に間違わないの?」

という言葉。(ちょっとうろ覚えなので、実際のセリフとは違うかもしれない。ただ、ニュアンス的にはこのようなことを言っていたと思う。)

ドラえもんの映画の特徴として、子どもと大人な役割が反転していることがある。現実の世界ではルールを作る大人が正しく、子どもは間違いを犯しやすい存在として扱われる。現実世界の子どもがのび太と同じ事を言っても、きっと相手にされない。 しかし、ドラえもんの映画では大抵の場合、間違っているのは大人の側であり、正しいのは子どもたち。正しいと言い切ってしまうのは言いすぎかもしれない。けれど、のび太たちは大人たちが「しょうがない」と諦めていることに対して、真正面からぶつかっていき、自分たちの力で解決しようとする。

子どもたちは自分たちと同じ子どもであるのび太たちが活躍する姿に興奮し、大人たちは自分たちが決して正しい存在でないことを学ぶ。さらに、かつてドラえもんを見ていた自分たちを思い出し、改めてその魅力に夢中になる。 作中の設定について、色々と気になる部分はあるが、そんなことを気にする自分が、“大人”になったと感じて嫌になる。 それぐらい童心に帰って楽しめる映画だった。

最後にのび太たちが見つけた宝は何なのか。 『のび太の宝島』はぜひ大人に見てもらいたい映画。子どもがいる人はぜひ家族で見るべき。