忙しいことを理由にすると何もする気が起きなくなる

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9月の後半から10月末まで、なかなかブログを書く時間がとれなかった。より正確にいうと、記事を書いたりする時間はあったのに、写真を加工したりする時間がとれなかったのだ。いや、とれなかったというよりかは、”とらなかった”という方が正しいのかもしれない。

確かに9月の後半から忙しかった。忙しいといっても一つの大きなことに取り組んでいる忙しさではなく、細かなタスクが次々と同時多発的に発生した忙しさである。
こういった忙しさの時に煩わしく感じるのがタスク管理。いつまでに何を終わらせて、どの作業をまだやっていないのか。進捗管理のためのToDoリストを管理することすら面倒くさく、自分の記憶だけを頼りにスケジュールを進めていく。けど、人間の記憶なんてあてにはならないもので、直前になって「あ、これ忘れてた」となることがしばしば。

そういった忙しさの中に長時間いると、だんだんと判断力が鈍ってきて目の前のものにしか集中できなくなる。つまり、締め切りのあるものだけを優先してしまうのだ。もちろん、締め切りがある以上それを守ることは大事だ。やるべきことをやらずに、やらなくてもいいことをやる意味が分からない。
ただ、その忙しさからある程度解放された今になって、「自分は本当に時間がなかったのだろうか」という疑問がでてくる。確かに忙しかったが、時間が全くなかったわけではない。お風呂上がりに雪見だいふくを食べながらテレビの前で2時間以上ボーっとしていたこともあったし、特に体調が悪いわけでも眠いわけでもないのに長時間布団の上でゴロゴロしていたこともあった。なんとなくスマホで興味のあるワードを検索して気が付いたら1時間以上経っていたことも少なくない。
確かに”やらなければならないこと”はたくさんあったし、そのせいで”忙しかった”ことは事実なのだけれど、結局は忙しいことを理由に”面倒くさいことを後回し”にしていただけなんだろう。

"忙しい"というのは魔法の言葉だと思う。対外的に使えば余計な説明なしに知人からの誘いを断ることもできるし、頼まれたことを断ることも許される。そして、ほかの人はそれ以上何も言うことができない(仕事上で必要なことの場合は別だが)。ただ、自分に向けていい言葉ではないと思う。
”忙しい”という言葉を使うことで、その言葉が呪いとなって自分のやる気をそぎ落としていく。思考停止してしまい、本来であれば有効に活用できた時間を見落とす原因となる。

結局何が言いたかったかというと、忙しいことを理由にブログの更新をさぼっていたということ。