ダッハウの仕立て師を読んで

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メアリー・チェンバレン(翻訳:川副智子)の書いた本『ダッハウの仕立て師』を読んだ。(ネタバレあり)

あらすじ

話しは1939年のロンドンから始まる。
イギリスの労働者階級の家に生まれた主人公のエイダは、婦人服の仕立て屋で働きながら、将来は独立して自分のブランドを持つことを夢見ている。そんな彼女はある日、上流階級の雰囲気を感じさせる男、スタニスラウスと出会う。
彼と親密になり、スタニスラウスと共にパリへ旅行に行ったエイダだが、滞在中に第二次世界大戦が始まったため、イギリスへと帰れなくなってしまう。そこから彼女の人生は大きく変化していく。

感想

この感想は、本を読んですぐに書いている。
正直、まだ頭の中が整理できていない状態で文章を書き始めるのもどうかと思うが、この作品では、まとまりのない状態で感じたことの方を書き留めておく必要があると思った。
今は、なんとも言えない気持ち悪さが胸の中に残っている。紙の上で彼女の半生を追いかけている途中、「きっと最後には・・・。」の思いが消えなかった。それは物語後半、もうこれ以上は無理だろうという場面に至っても存在し続けたが、そう都合よくは進まない。
この感想から分かるかもしれないが、この話はサクセスストーリーではなく、万人が望むようなハッピーエンドでは終わらない。

時代が悪いのか、彼女悪かったのか。おそらくはその両方、いや、どちらでもないかもしれない。一つだけ確実なのは、エイダはただ運が悪かった。
もし、パリにいる時に開戦していなかったら、彼女は単純に旅を楽しんでイギリスに帰国していたかもしれない・・・もしかしたら、もっと悪いことになっていた可能性も作中には示唆されているが。
もし、彼女が浅はかでなかったら、変な男に引っかかることもなかっただろうし、彼女の家族が帰国した彼女を受け入れていたら、彼女はそこまで追い込まれなかったかもしれない。もし、彼女が自分の子供に対する真実を知っていたら・・・急いでお金を貯め、無理して広い部屋に住もうとはしなかっただろう。どうしようもないけれど、考えずにはいられないいくつもの”if”。

作中、エイダは数多くの理不尽を経験するが、その事実が歪められて語られることによって、彼女自身が悪いかのように捉えられてしまう。最後の最後まで、”世の理不尽”が彼女の前に立ちはだかる。そういう意味でも、彼女は不幸だった。

タイトルにもある『ダッハウ』という地名。
ダッハウは彼女が辛いことを経験した場所の一つだけれど、、孤独な場所において、アニという友と呼べる存在を得た場所でもある。だからプロローグにはアニとのエピソードが語られ、『ダッハウの仕立て師』のタイトルがつけられたんだろう。
プロローグの場面が、この話を読み解くためのヒントになるのかもしれない。

イギリスで生まれ、パリへと渡り、ドイツを経てイギリスへと帰ってきたエイダ。
イギリスでの生活は彼女が憧れ、恋焦がれたものにはならず、皮肉にも仕立て師としての彼女が求められ、活躍できたのはダッハウだった。例え公平な関係ではなかったとしても。結果として、彼女が詳細を知らずに仕立てた一着のドレスが、不運にも彼女の首を絞めることになったけれど、彼女はそのことを最後まで後悔しただろうか。

社会に翻弄される中、どう行動するのが彼女にとって正解だったのか。彼女の最後の行動は、あのように責められるべきだったのか。。
読み終わり、感想を書いている今でも、様々な考えが頭を巡り、答えを出すことができない。

著者について

著者はイギリス人学者のメアリー・チェンバレン。彼女は歴史学者でもある。
この小説はフィクションだけれど、まるでノンフィクション作品を読んでいるように感じた。メアリー・チェンバレンが歴史学者であることや、実際の地名が多数登場することが、作品に大きなリアリティーを持たせているのかもしれない。

久々に読んだ後、誰かと感想や考えを語り合いたいと思えた作品だった。
ただ、決して明るいストーリーではなく、読み進めていくほどに辛くなるので、こういった作品に耐性がない人にはおススメできない。