京極夏彦『幽談』を読んだ

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書店でたまたま目に入ったこの本。面白すぎて一気に読んでしまった。
京極夏彦作品に最初に出会ったのは、深夜に放送されていた『巷説百物語』のアニメだったと思う。そのタイトルから当初は怖い話を期待していた。確かに雰囲気には怖いものがある。ただ、「怖い話」というよりは「不思議な話」という印象を強く持った。現世と幽世の境界が曖昧になったような、妖怪や幽霊の存在を否定も肯定もしない世界。その独特の雰囲気に魅了され、気が付いたら原作小説も読破してしまっていた。

その後手に取った百鬼夜行シリーズでは、その独特の空気と個性的な登場人物たちが上手くマッチしていたように思う。確か「塗仏の宴」までは読んだ記憶があるのだが、それ以降のシリーズはハッキリしない。このあたりから一つの話が完結するまでにかなり巻数を必要としていたので、読まなくなったような気がする。

最近、最新刊「炎昼」が発売された書楼弔堂シリーズではその不思議な空気感が弱いように感じたが、一方で歴史的人物に面白い肉付きがされており、一度読み始めると続きが気になってしまい最後まで止まらない。

そんな色々な期待感を背景に、幽談の最初の1ページを読み進めていく。
あぁ、やっぱり好きな空気感。怖い話ではなく不思議な話。普通に考えれば怖い状況もなぜか普通に受け入れてしまう登場人物たちのせいで、怖い話の中にユーモアを感じる。
短編8作から構成されているのだが、読んでいく内にまるで自分のいる世界、自分自身が不安定な状態にあるような錯覚に陥る。まさに『幽談』

個人的に好きなのは「逃げよう」という話。簡単に説明すると
小学生時代、どぶから這い出てきたあるモノから逃げる主人公。ついてきているのは分かるのだけれど怖くて直視できない。一緒に下校している同級生の内、一人は気づいているようだけれど、もう一人は全く気にしていないようだ。果たして気づいているのかいないのか。一人、また一人と別れ、最終的に一人になる主人公。あるモノはまだついてきている。
途中、帰り道を間違えてしまう主人公。しかし、引き返すことはできない。そこにはソレがいるからだ。
しかし、主人公はその道を進んだ先に存在する、ある人物の家にたどり着けることを思い出す。
しかし、大人になって思う。その人物って一体誰だったのだろう?
という話。
最後に感じる違和感と終わり方が何とも気持ち悪い。なのに何度も読み返してしまう、中毒性のある魅力を持っている。その他の作品もそれぞれ別々の雰囲気を持っており、読む人にとって違う捉え方ができるというのも面白さの一つだろう。
一方、すべての話にハッキリとしたオチがあるわけではないので、そういったものを求める人にとってはやや物足りなく感じるかもしれない。